2015年4月27日月曜日

ついに学校が再開されました

シスター エリサ パディシャ地区長から下記のようなメールが届きました。スペイン語からの翻訳は田中マルタさんにしていただきました。


 
    すべての友人へ
  やっと9か月の待ち期間が過ぎ、人から人へ
「4月14日学校が再開します」
という声が、こだまの様にあちこちから聞こえてきました。「ママ サローネ」(人々はシエラレオネのことを、愛を込めてこう呼びます。)は、9か月の苦しみの後に、汚れを洗い、新たな出発に意欲を燃やしている国民を生み出そうとしています。
 


     OLG校に笑顔がもどりました。
 
   砂漠で、ご自分の使命を果たすための準備期間を過ごしたイエス様のように、国中で偉大な一歩を踏み出す準備として、さらに3日間の祈りと断食をするよう求められました。国の未来である子供たちは、早く学校に戻りたい、との意思を、体全体で現わしました。
   今日、希望に満ちた最初の週が終わりました。喜びと神様へ感謝しながら、カラフルな制服を着た子供たちが、それぞれの学校へ向かう姿で、ルンサの通りが、もう一度に彩られるのを眺めました。 学校の門を再び開けて、ピンクの制服の小さい園児たち、青い色とワインレッドの制服の女の子たちとお姉さんたち、そして、通りを満面の笑みをたたえて歩くそれほど若くない専門学校の学生たちを迎えました。
  私たち、そして全員の気持ちは、うれしさと心配が入り混じっていました。一方では教室を再び生徒たちで満たした喜び、もう一方で、大勢の生徒の中にだれか感染者が混じっていないかと心配でした。 
    生まれて初めての体温測定は不安が一杯
  学校再開の数日前、国と文部省、地元の青年たち、生徒たちやボランティアが力を合わせて、地域の学校一軒一軒を掃除しました。
 命が再び戻ってきました! 青年男女、手に手に、スッコプ、ほうき、バケツ雑巾等を持って、希望に満ちて草むしりや埃を掃いたり、壁を拭いたり、机や椅子を運んだり、嬉しそうな表情で働きました。
 
  月曜日・13日、学校再開の前日、先生達は、体温計の使い方、手の洗い方、そしてエボラの様な症状を見せた生徒にどのように対処するかなど、練習しました。直面する新たなチャレンジに、全員笑顔で立ち向かう心構えができていました。
 火曜日・14日、少しずつ、通りは学生で埋まってきました。自分ひとりだけが登校してきたのではないかどうか確認するために、家々の後ろから様子をうかがう生徒、門の所で体温計を額に当てられると、目をつむって、恥ずかしそうに通過する生徒。エボラが始まった初期の頃から、体温計測と手洗いは、私たち皆慣れていましたが、どうも今日は様子が違います! そうです、今日は、新しい時代への通過なのです。
 

       無事通過で思わずにっこり
  日ごとに登校してくる生徒の数も増えてきました。金曜日17日は60%の生徒が出席しました。簡単ではありません。長い間顔を見なかったお友達、お互いに抱き合い喜びを現わすと、大人の怒鳴り声がします、「接触するな!」 低学年の児童たちは、手に手を取り合って遊び、水筒で回し飲みをしていますと、思い出させるために新たに声が飛びます、「回し飲みをするな」。
 直面する課題は難しいものです。人のぬくもりと親愛の情を現わすことに慣れた子供たちに、そうすることが他の人に危害を加えることになりうるということを、思い出させながら、共に歩まなければならないのですから。これは、両親を失い、兄弟を失い、悲しみと人生の空虚さを現わすまなざしの兄弟姉妹への私たちの使命は、愛と摂理によって、絶えず私たちを見守り、保護して下さる父なる神がおられることを伝え、一緒に歩むことです。
 
  この学園の皆を代表し、(キリストの十字架を担ぐ手伝いをした)シレネオの様に、私たちの傍らをともに歩いて下さいました皆さまに、御礼を申し上げます。私たちが食料と衣類を、必要としている方々に配れるよう、みなさんは犠牲を奉げて下さいました。
 
 
  まだ警戒して子どもを登校させない家庭もあるようだ
 
 トンネル(暗闇)から抜け出る力が出るように、お祈りを捧げて下さいました。誰に知られることなく沈黙の内にお奉げくださいました。聖母マリア様が、私たちを保護して下さるその同じマントで皆さまを守ってくださり、永遠の幸福にお導きくださいますように。
    2015年4月18日    シスター・エリサ

 
 

 

2015年4月12日日曜日

シエラレオネの学校が再開します

                                                           シスター吉田から嬉しいメールが届きました。シエラレオネ全体では、まだエボラ出血熱が完全には終息していませんが、4月14日から全国の学校を再開すると文部省が決定したそうです。そして、既に、OLGの中学3年生は進級試験の準備のために、3月4日から補習授業を始めていましたが、この4月11日に無事に第1回目の進級試験が終わったそうです。この進級試験は5月半ばまで続く予定です。
      進級試験を受ける中学3年生
OLGの試験会場には、OLGの中学3年生だけでなく、マリアイネス中学、職業センターの生徒や他校の生徒も集まり、緊張しながら、一生懸命頑張っていたそうです。この補習の朝8時半から午後4時まで行ったそうですが、この期間は学校で給食を食べさせました。また通学が困難な生徒16名は、学校に宿泊させました。これらの費用は、すべて無料という訳ではなく、お金を払える生徒はいくらかを払い、お金の無い生徒の場合
は、保護者が

   
   休憩時間、消毒用のバケツが各所に設置されている。

カサバや、バナナ、さつまいもなどの野菜や果物を、かごに入れて届けに来てくれたそうです。
 また、貧困家庭への食糧支援は現在まで継続してくださっていたとのことです。学校が始まったらどうされるのか、まだ、確認できていません。そういう訳で、お送りした給食支援費や、エボラ対策支援費は、この間のルンサの人々の健康保持や教育活動に大いに生かされました。
 また、エボラによる不況のために、勤め先が倒産したり、大幅な減給になったりで、授業料の支払いが困難になる生徒も出て来ることが予想されるそうで、学校再開後に実態を把握して、今後の対策を考えることになると思います。エボラによる経済的な理由で退学を余儀なくされる生徒が出ないように、可能な限り支援をしたいと考えています。

     無事に終えて、ほっとした表情の生徒たち

 4月5日のイースターには28名の生徒がキリスト教の洗礼を受けたそうです。希望のあった84名を1年がかりで育ててきたのですが、今回は、その中でも信仰の堅い生徒28名を選んで洗礼を授けたそうです。

 数日前には、「現地でも珍しい程の大雨が降り、エボラ出血熱のウイルスもすべて洗い流されたと思う」と、シスターのメールに書かれていました。

 ルンサの町にも、前のような賑わいが戻りつつあるようで、学校が再開されれば、喜びも一層大きくなることでしょう。
 去年の夏から約8か月間、現地ではどれほど長く辛い日々であったことかと思いますが、この間に皆様からお寄せいただいたご支援とお祈りに、心から感謝申し上げます。そして、引き続きこれからもよろしくお願いいたします

    進級試験を終えた職業センターの生徒たちと
    校長のSr.ベアトリス

 シスター吉田は12日から19日まで出張で、14日の学校再開日にはルンサを留守にされます。再開した学校の様子は4月末にはお知らせできると思います。(菅野勝治郎)

2015年4月1日水曜日

Sr.白幡とのQ&A

 シスター白幡は24日に成田を出発し、無事にルンサに戻られました。去る312日、大和市にあるICA(インターナショナル カルバリー アカデミー)というチャーチスクールを訪問し、子どもたちの質問に答えてくださいました。
 そのQ&Aの記録を紹介します。



  ICAの子どもと談笑するSr.白幡 


司会(岡村校長);最初に、シエラレオネの学校のことを紹介してくださいますか?

Sr.白幡:シスターたちが、初めてシエラレオネに入った頃は、シエラレオネでは女子の教育ということは全く考えられていませんでした。シスター達が町や村の一軒一軒を回って女の子を学校に入れるように勧めて歩きました。女の子にも教育が必要なことを説明して歩いて、30名ぐらいの子どもを集めることができました。それが今は、その頃の子どもの子ども、さらにその子どもも来るようになって、幼稚園から小学・中学・高等学校、職業センターまで合わせてだいたい2,500名の生徒が学んでいます。

4年女子:どうしてシエラレオネに行ったんですか?

Sr.白幡1960年、初めてシエラレオネに行かれた4人のシスターの内の一人が病気になり、1年半でお国に帰ることになりました。夏休み中だった私たちの大学を訪ねてシエラレオネの話をしてくださいました。私は、シエラレオネの名前も知りませんでしたが、今から50年前ですけれども、子ども達がとても貧しくて、食べる物も無く、幼くして亡くなる人も多いことを聞きました。私の父は医者で、私は何の苦労もなく生きてきましたが、これでいいのだろうかと悩みました。そして、私もアフリカに行って、貧しい子どものために働きたいという思いが強くなり、山の手線の中などでアフリカから来たと思われる人に出会うと、とてもドキドキして話しかけたりしました。そのころ、アフリカに行く日本人はいませんでしたから、クララ会に入るのが唯一の方法と思い、クララ会のシスターに志願しました。クララ会に入れていただいてすぐに「アフリカに行きたいです」と志願しましたが、総長から「あなたはまず、聖なる修練女にならなければなりません」と言われて、7年間、修練に励みました。早くアフリカに行きたいと思い続けましたが、やはりその修練はとても大事でした。1974年に初めてアフリカに行けた時はとても嬉しかったです。

6年男子:日本に戻りたいと思ったことはありますか?

Sr.白幡:ありません。でも、他の国から来たシスターたちが7年か8年に一回、休暇として帰ることを見ていて、やはり家族のためには何年かに1回は帰るべきだと思いました。
 自分から帰りたいとは思いませんでした。向こうで神様のために働くことが喜びでした。

4年男子:ミニストリーの中で、一番大切にしていることはなんですか?

Sr.白幡:私は幼稚園の責任を持っています。ほとんどはイスラム教の家庭の子ども達ですけれども、神様の存在をいつも考えるように子どもと接しています。どんな時も神様が見ておられるし、必要なものはすべて神様が与えてくださることを気づかせていきたいと思っています。

5年女子:今、シエラレオネ共和国はどういう状況ですか?

Sr.白幡:去年の5月くらいから、ギニアから入ってきたエボラが広まって、最近は、新たな感染者は少なくなってきています。前は、1週間に1,000人ぐらいの感染者が出ましたが、今は、100人以下になったそうです。エンディングが見えてきたという感じです。しかし、やはり0にならないと危険ですから、学校もまだ閉鎖されたままです。

司会:今、生徒さん達に会う機会と言うのはあるのですか?

Sr.白幡:子ども達が教会に来てくれれば会う事ができますし、道で会うこともありますが家庭訪問はできません。
 クリスチャンの大統領は「こうなったら、神さまに頼るしかありません。」と言って、断食をして祈る日を決めて実行したりしたこともありました。幼稚園の子ども達も何名か亡くなっています。

2年男子:世界のすべては、神様のご計画で進められていると考えた場合、神様は、どのようなことをなさりたくて、このような悲劇的な病を流行らせていると思われますか?

Sr.白幡:人間の罪のためかなと思うこともありますが、悲しく辛い事も含めて、神様はすべて、私たちの善のために働いてくださっているということに信頼し、希望を持って進んで行きたいと思います。

4年男子:好きな御言葉はなんですか?

Sr.白幡:聖パウロの書かれた、コリント人への手紙の13章です。今朝、カルバリーチャペルの礼拝でも読まれ、感動を新たにしました。

3女子:シスターはどうしてアフリカの人を自分の身を犠牲にしてまで愛しているのですか?

Sr.白幡:アフリカの人も神様の子どもで一緒です。アジアの人もアフリカの人も皆兄弟です。どうして好きですか、と聞かれたら、一般的にアフリカの人はとても明るくて、オープンです。本当に分かち合う心が強いです。それは教えられます。

司会:アフリカに対する使命感というのは特別におありなのですか?60年にアフリカ行きの強い迫りを感じられて、それ以後、その使命感には変化はおありなのですか?

Sr.白幡:私どもは宣教女ですから、神様の望まれる所ならどこへでも行きますけれども、やはりアフリカで神様にお仕えすることを使命として感じます。

高2男子:エボラに罹ることを恐れたことはありますか?そして、もしエボラ出血熱と診断されたらどう反応しますか?

Sr.白幡:怖いと思ったことはありません。前の戦争中も怖いと思ったことはありませんでした。神様が絶対守ってくださると信じているから怖いとは思いません。

司会:勝利の信仰ですね。今日、私どももこれを学ばせていただいて感謝です。
  

❍ 会報の7号を掲載しました。右の「会報」のページをクリックしてご覧になってください。